阪急交通社を知ろう

これまでの歩み 1940年~1960年代

【1940年~】

1948年、阪急交通社は、阪急電鉄 株式会社の代理店部として第一歩を記しました。終戦から3年、当時世界一の航空会社であったパン・アメリカン航空と、わが国で初めて代理店契約を締結し、航空代理店業務を開始しました。「日本が廃墟から立ち直るには日本の製品を海外に輸出する以外はない」という当時の経営者の信念と社員の優秀性が認められた証であり、個々の社員が創造性を発揮する企業風土は今もわが社に受け継がれています。航空会社の代理店として「貨物」「旅客」の両方を取り扱う“貨客兼営”体制は2008年まで続きました。

【1950年~】

1950年代、日本は経済面でいまだ先進国への道のりは遠く、日本の旅行業は、外国から日本に観光客を招くインバウンドビジネスを主としていました。当社もこの分野で積極的な展開を行い、1952年に太平洋航路の主要な汽船会社の代理店となり、1955年にサンフランシスコに本社を置くJapan Tours Inc社を米国の総代理店として観光客の受け入れを組織化していきました。また、イギリスの文豪サマセット・モーム等の著名人の訪日観光を取り扱い、世間の注目を浴びました。

【1960年~】

1960年代は当社にとっては記念すべき年代といえます。1960年に「株式会社 阪急国際交通社」として阪急電鉄 株式会社より分離独立し、翌1961年に営業を開始しました。1962年に、グループ内の旅行会社を吸収合併し、「株式会社 阪急交通社」となり今に至っています。 1964年に海外旅行が自由化されたとはいえ、観光旅行はまだまだ高嶺の花。ビジネスの主流はメーカー・商社の業務出張や官公庁の公務出張の手配であり、団体旅行では視察旅行の獲得に力が注がれました。国内旅行では、他の旅行会社は国鉄(現JR)利用が中心でしたが、当社は航空機・バス利用といった独自の道を歩んでいました。

1964年4月 東京ビルオープニングパーティー。大臣クラスの著名人にもご出席いただきました。 「阪急ブレーブス」が優勝した際には、垂れ幕でお祝いしました。

※社内誌「H21」夏号2007より

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